2012年3月31日土曜日

誰もいない銀座

3週間の日本滞在の後、2日前にロサンゼルスに戻った。日本では何をするのも、どこに行くのも頭を使ったが、ここでは当たり前に物事をこなしている自分に帰って来て気が付いた。生活をしている、という感じを受ける。暫く離れていると、客観的に自分の日常を見れ、改めて気が付かされる事が多い。

今回は毎日の様にプロジェクト、HOT STUDIO ALL5、の設計管理で銀座に行った。銀座は華やかで、物が溢れていて魅力的な場所だけれど、時々ふっと我に返ると目に入る全ての物が商業的で、刹那的で、とても無機質に思えてしまう。

朝4時の銀座。昼間あれ程もてはやされていたにも関わらず、人間がいなくなると町全体が忘れ去られ、看板やウィンドーディスプレーは数時間の間全ての意味を失う。どこの町でもそうかも知れないが、昼間高級感と自信に包まれるこの町は、特にそのギャップが大きい。


誰にも見られていないのに、表情の無い人々は同じ方向を向けられ、回され続け、



透明感は透き通った綺麗さから、失われた存在感の象徴に変わり、



パーティーで誰にも誘われる事の無かった女性は、ただじっと一点を見つめて立ち尽くす。



人を並べる役目の豪華なポールは、暗闇の隅に並ばされ、



上を見上げれば、昼間は気が付かなかったくもの巣がビルを覆う。



1日中誰にもかまって貰えなかった公衆電話は、夜の間だけパーキングメーターに少しだけ同情してもらえ、


花屋の黄色い花は、蛍光灯の白い光にやられて色を失う。


工事現場を出た後、暫く一人で歩いていた時に思った事。


まぁ、正直なところ、昼間は昼間で行き交う綺麗な女性に目を奪われているので、ウィンドーディスプレーなんてどちらにしても目にも入らないのが現実だけど・・・。

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