2012年2月25日土曜日

日本とアメリカのサービス

ここ数ヶ月、よく日本に帰っているので日米のサービスの違いが見れて面白い。


スターバックスでオーダーする時
日本:
オーダーしたドリンクの名前を店員皆が合唱し、店中に公表される。


客:”トールアメリカーノお願いします。”
店員:”かしこまりました。ト~ルアメリカ~ノ~” ”ト~ルアメリカ~ノ~(合唱)” 
言ってる方も言われてる方も恥ずかしく感じるのは、僕だけか?

アメリカ:
オーダーした時に名前を聞かれ、カップに書かれる。


"Can I have a cup of tall Americano? ( トールアメリカーノお願いします。)"
"What's your name? (お名前は?)"
"Hiroki. "
まー大体ヒロキなんてスペル出来ないから、上手く行けばHEROKO, HEROKEと書かれる。
HIROKIとまぐれで書かれても、コーヒーが出てきて名前を呼ばれる時に ”ハイ...ハイ~ロカイ?” と呼ばれてちょっと恥ずかしい。
最近は面倒なのでヒロで通している上に、”H.I.R.O” と綴りを教えてあげる。教えてあげないと "H.E.R.O"と書かれ、コーヒーを買っただけなのに ”ヒーロー(英雄)”と呼ばれかなり恥ずかしい。
本当に面倒くさい時は、マイク(MIKE)になる。
このシステムが始まった当初はとても抵抗があったが、今では普通になった。優れているところは、常連になると名前を覚えていてくれるので、店員と友達の様に接することが出来、リピート率が上がる。日本で好まれるかは微妙。


日本のスタバのコーヒーの温度は熱すぎて、味が飛んでしまっている様に感じるのであまり好きではない。アメリカではあまり熱すぎると客が火傷して直ぐに裁判沙汰になるので、そこまで熱くはない。実際にそういう裁判があった。


ファーストフードでオーダーする時


日本
いらっしゃいませ、XXXXへようこそ。
ポイントカードはお持ちですか。
大変失礼致しました。
大変お待たせ致しました。
有難う御座いました。


アメリカ
今でも覚えているが、シカゴのバーガーキングにハンバーガーを買いに行って、カウンターの前でメニューを見ていたら、黒人の店員に
”What do you want? (何にするのよ?)"
と聞かれ、面倒くさそうにオーダーを入れてくれた。


What do you want...って... 



店で何かを買った時
日本:
店員 ”有難う御座いました。”
客 ”あーどうもね。”


アメリカ:
客:”Thank you. (有難う)
店員:”You are welcome. (どういたしまして)” 又は無言。


アメリカに住んで21年になるが、未だに店を出た時に思う。
”何で買ってあげた俺が礼を言ってるんだ...?”
ただしこれは、店側の ”売ってやった” という立場からこうなるのではないと思う。従業員の会社に対する忠誠心や仕事の意欲の無さ、又は個人主義の観点から、
”私はただこの仕事をして、ここでこれを売って給料をもらって帰るだけだから、別にこの客に個人的に礼を言う必要は無いわ。”
という考えに基づいていると思う。




レストランなどでオーダーした物と違う物が運ばれて来た時。


日本:
すいません、これ頼んだ物と違うんですけど。
大変申し訳御座いません。ただいま直ぐに交換させて頂きます。
お待たせ致しました。申し訳御座いませんでした。


アメリカ:
Excuse me. This is not what I ordered. (すいません、頼んだ物と違うんですけど。)
Oh year? Let me check. (あらそう?ちょっと見てくるわ。)
Here you go. (はい、これでいいわね。)





シカゴからサンフランシスコに引っ越した当日、空港のレンタカー屋で、予約しておいた車が無かった。シカゴなどでは抗議して当然だし、例え抗議しても、まるでこちらが悪い様に持って行かれる事すら珍しくない。取りあえずいつもの感じで文句を言った。
”は?無いってどういう事?何の為の予約だよ?!”
すると店員が口を開いた。
”We are very sorry. We will do our best to accommodate your need."
(大変申し訳御座いません。出来る限りの事をさせて頂きます。)
当時、アメリカに来て12年目。初めて受けたその対応に、それこそ鳩が豆鉄砲を食らった様になってしまった。シカゴに比べると、カリフォルニアの人は皆穏やかだ。



まぁ、あくまでここに書いたのは僕が個人的に経験した一例に過ぎないので、いつでもどこでもこうだとは言わないし、一方が良く、もう一方が悪いとは言い難い。去年の10月に、4年振りに日本に帰国した際はコンビにの店員の対応がマニュアル通りな上に親切過ぎて気持ち悪く感じたが、今年2月に2週間半の滞在を終えてアメリカに戻った時は、なんてそっけない対応しか出来ない国なんだ・・・とつくづく思った。

確実に一つ言える事は、日本では ”客をもてなす” という考えが大変強くあり、無理にでもそうする事でビジネスが成り立っているし、客も心地よく感じる。多くの常識ある日本人は、そこで大きな態度に出ずに、客としても節度を持って振舞う。他民族国家のアメリカでは皆の常識が違い、接客する側とされる側の調和を一重に理解・想像するのは難しいことに感じる。

2012年2月16日木曜日

飲み歩き編

今回は、この2週間半の日本滞在中に連れて行ってもらったレストランやバーのほんの一部を紹介。

まずは、中、高校時代の友人で、RISN(ライジン http://www.risn.jp/)オーナーでアートディレクターの丸田氏に連れて行ってもらった赤坂のバー。


ホットウィスキーに生姜を入れた物だったかな? 寒かったのでマスターが作ってくれた。


銀座大野(http://auxamis.com/ginza_oono/


美味しすぎて写真を撮るのを忘れたのが、3種類のフォアグラをそれぞれ違う味噌に漬けた物。口に入れて数秒たった後、口の中いっぱいに味が広がり、本当に驚いた。
写真は鴨肉の上に味噌とまつの実が乗った物。これもとても美味しかった。



フレンドリーな大将が持っているのが、一番最後に食べた寒ブリの釜炊きご飯。まさに絶品。


丸田氏の要望で、多めに頼んで残りをおにぎりにしてもらった。


 大野を出て、新橋のバーで一杯。


終電などとっくに無いので、前回の帰国時に気に入ってしまった”カプセルホテル”へ。今回の場所はいまいちだったかな。




お次は、別の高校時代の友人と行った横浜市たまプラーザ駅から徒歩5分の所にある、蕎麦魯庵(ろあん http://soba-roan.com/)。ロサンゼルスで知り合った、元権八ビバリーヒルズ店の店長、Takashi Nishihamaさんのお店。おしゃれな蕎麦屋で、入るなり昔のノリで店がモダン過ぎるとか、値段が少し高いとかからかってしまったが、自家製の創作つくねを口にして、美味しかったので静かになってしまった。鴨肉を使っているそうだ。


元々そば職人のTakaさん。最後に食べた鴨せいろの蕎麦は実に美味しかった。





別の日には、横浜の野毛の飲み屋街。馬と鹿の肉を出す店を横目に、



向かった先は、中華料理屋の三陽 (http://homepage3.nifty.com/sanyou34/)。入ったとたん、”餃子2人前とビールとxxxとxxxで1800円。それでいいね?” と強制的にオーダーが決定されそうになったので、”よくない!よくない!” と友人がそれを阻止。


この店の事は、以前もブログに書いたが、面白い語録が書かれているおかしな店。



会計したお金はこちらへ・・・昔の八百屋みたい。


店内はとても狭く、決して綺麗ではない。


しかし、味はとても美味しい。


なので、とんねるずのきたなシュランで星3つ!



餃子と蒸し鶏を食べ、ビールを一杯飲んで次の店へ。

高校時代に、同じバンドで一緒にギターをやっていた友人のご両親が経営するふぐ屋さんへ。このラジカセ、時代を感じさせてくれる。



ひれ酒を頼んで、


ふぐ鍋を。ふぐは刺身か、から揚げが良いらしい。


行く先々でちょっとずつしか食べていないので、最後に近くの込み合っていた中華料理店へ。これ、味がぜんぜん無く、ちょっと残念だった。二人で3件回って、一人4000円程。





土曜日の昼は横浜中央市場へ。


12時少し前について、お目当ての定食屋さんへ。運よく10分程しか待たなかった。


市場の定食屋と言う事で、この内容とこの値段。


お任せ定食1000円! さしみの山に、うには箱で出てくる。煮魚もとても美味しかったし、何よりこの値段。


満足して会計を済ませ、店を出ると外には長蛇の列。納得。

帰りがけに、”ここのチーズケーキ有名らしいよ。” と友人が言うので、



食べてしまった。確かに美味しかった。




日曜日は渋谷でシカゴ時代の親友と7年ぶりの再会。で、もつ鍋。適当に入った店だったが、美味しかったのでとても満足。昔シカゴで留置所に入れられた時の事や、一緒に引越し屋でバイトしてアメリカのまっすぐな高速道路を大型トラックで疾走した事など、夜中まで思い出話に花が咲いた。20代前半をシカゴで共に過ごした、数少ない日本人の親友。



また別の日は、セレブな丸田氏に連れられて、ホテル・ニューオータニのレストランへ。


写真を見ただけで分かる値段、そして、それに伴う味。


 しかし、よくこんなに頻繁に高級レストランで食事が出来るなと感心。僕は美味しければ安い中華レストランで十分です・・・。


その後、同じ敷地内にあるバーへ。


ここで紹介したのはほんの一部。日本に帰ってくるとホテル住まいな為、どうしても外食になってしまう。色々と美味しい物を食べる機会があるが、これを毎日続けていたらお金がかかって仕方ない。やはり次回は吉野家とコンビ二にもっとお世話になろうと思った。

昨日ロサンゼルスに戻ってきた。 正直なところ、ちょっとホッとしている。20年も離れていると、やはり日本はアウェーな感じ。

2012年2月14日火曜日

横浜

土曜日の昼にあるレストランで横浜の散策マップを手に入れた。それを頼りに、午後から横浜の外人墓地へ。前回来たのは、もう20年以上前だと思う。周囲には、昔は気にもとめなかった歴史的な建造物が多くある。


横浜地方気象台。左側の新しい棟は、安藤忠雄氏の設計。特徴が無い様にも見えるが、プロポーションやコンクリートの質感は大変綺麗だった。



山手十番館。明治百年際を記念して昭和42年に建てられた物らしい。中はフレンチレストランと言う事で、今でも綺麗に保たれている。



山手資料館。昭和42年に建てられた後、52年にこの場所に移築されたそうな。


山手聖公会。1931年、J.H.モーガンの設計。2005年に火事で損傷を受けたが、その後復興された。


戦争中にも爆撃で被害を受けている。



電話ボックス。入り口のガラスには ”自動電話” と書かれているのが面白い。



エリスマン邸。設計者はフランク・ロイド・ライトの弟子だったチェコ出身のアントニン・レーモンド。


ダイニングルーム。


3角形の支えなどは、師匠から受けた影響だろう。



こういう角の使い方や線の運び方も、ライトの影響と思える。




外人墓地をはさんで元町の反対側へ少し降りて行くと、小さな公園が。実はここがキリンビール発祥の地。


大きなモニュメントは、今では子供達のサッカーの練習相手に・・・


ちょっと思い立って、母校へ行ってみる事にした。この辺は有名女子高が数多くあり、朝の電車の中は99%女子、1%男子なんて事もたまにあった。もちろん女性専用車両なんて物は当時はない。


戦前からあるこの学校は、現在横浜で一番古い建物とも聞いた。今年の終わりに向けて建て直しという話も。


2年生の時の教室。

塞がれている壁の穴は当時からあった。そこから隣のクラスを覗いていた思い出がある。



帰りに校門をくぐると、目の前にランドマークタワーが見えた。確か入学当時はベイブリッジが完成間近で、部活を終えて教室で着替えている時に、よく窓から見ていた。

やっぱり横浜は良い。異国の情緒が漂うこの町は、18年間過ごした日本での唯一の故郷。

関連ブログ記事

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...