2015年8月6日木曜日

東京オリンピックのロゴとか、デザインとか、デザイナーとか

言わずと知れた、今騒がれている東京オリンピックのロゴの話。

日本の佐野研二郎というデザイナーがデザインしたロゴが、ベルギーのオリビエ・トビというデザイナーがリエージュ劇場という劇場の為にデザインした物と酷似しているとし、今日IOCと日本オリンピック協会に使用差し止めを求めて、ベルギーの裁判所にて裁判を起こす意向を示した、ということらしい。

佐野研二郎という人も、オリビエ・トビという人も、リエージュ劇場という名前も知らない。

まず普通の事を書けば、

幾何学的な形を組み合わせ、ソリッド(埋まっている部分)とボイッド(空の部分)を組み合わせて作られたロゴは腐るほどある。シンプルな形を組み合わせて一つの物を作るスタイルは、日本では昔からよく取り入れられていた形の作り方だし、世界中で見ても特に珍しい技法じゃない。
デザインを勉強した事がある人なら分かると思うけど、この形にたどり着くの、そんなに稀な事ではないはず。それにこの”Z"と読める形状の左上と右下の特長ある部分は、誰でもどこかで見た事がある気がする。

人は、見た事の無い物は想像できない。そう信じている。新しい物を生み出す時は、今まで見た事のある物を頭の中で組み立てたり、組み替えたりする作業を脳が自然に行う。

例えば佐野さんが今回のロゴをデザインしている時に、トビさんのロゴをネットか何かで見て、
”お、これいいじゃん!” と思ったとする。

特に問題はないでしょ。

例えば佐野さんが、自分では覚えていないけれど、昔何かでトビさんのロゴを見た事があったとして、それが今回のオリンピックのロゴを作成中に無意識のうちにひょっこり顔をのぞかせたとする。

特に問題はないでしょ。

ロゴをデザインする人は他の人が作ったロゴを、
料理を作る人は他の人が作った料理を、
曲を書く人は他の人が作った曲を、

普段から気にしているし。

特に今回のロゴは、それ程ユニークな物でもなければ、トレードマークでもない。
さらにトビさんは東京オリンピックのロゴのデザインコンペに参加すらしていない。
もういいんじゃん・・・?



さてとっ...ここからは僕の個人的な思いや考え方。

デザイン とか デザイナー って、何?

もう20年程前の事だけど、シカゴ美術館を所有する大学に通っていた。学生は学生証を見せると無料で美術館に入れる。なので、アメリカ3大美術館の一つでもあるこの美術館を、皆ただの裏の校舎へ行く通り道としてよく利用していた。歩いているとたまに目にする意味不明な絵。
タイトルは ”untitled (無題)" 。 

なんなんだよ、一体!?

いつも悩んだ。”なぜこんな物が美術館に飾られているのか?” どう解釈すれば良いのか分からない。線がきれい?色使いが素晴らしい?その程度の事ではここには飾られない。この絵を見ている人たちの殆どは、なんだか分かっていないはず。

作品を見ているだけでは分かるはずがない。なぜならそれは、その作者が生まれてからこの絵を描くまでに見た物、経験した事、そしてそれに対して作者が感じた感情によって作りだされているのだから。

晴れていたのか、雨だったのか、子供の頃に親から虐待を受け、怯えながら育ったのか、宝物の様に家族皆の笑顔に包まれて大切に育てられたのか、ビルに囲まれて冷たい風を感じながら、なびくコートをかじかむ手で掴んで生きて来たのか、野原の陽だまりの中にそっと建ち、いつもパンを焼く煙が煙突から立つ赤いレンガの一軒屋で育ったのか、戦争に巻き込まれて愛する人が自分の腕の中でゆっくりと息絶えるのを見なければならなかったのか、戦争に行って人を銃で撃ち殺し、流れ出る血を足で踏みにじって来たのか・・・

その人の生い立ちと、その時代の政治や社会的背景から影響を受け、この作者が題名も付けずにその年、その日、その時間に表現した物が、それだから。この違う時代に、ただ見ているだけでは理解できなくて当然。

そして、そういう物を、"ART" と呼ぶのだと思う。
こう考える様にすると、自分を納得させる事が出来た。それに気づくまでに何年もかかったけど。

皆その場で今思った事を表現する。だから、人は皆、アーティスト。

思わず彼氏に言い放った悪口も、彼女に送ったスマホからのメッセージも、”ありがとう” と言った一言も、”あ~ぁ..."と出て来たため息も、全てが作品。

デザインも同じだと思っている。そのデザイナーの生まれてからの歴史が必ず作品に反映されているし、されるべきだと思う。よく目にするコピー(copy)&ペースト(paste)のグラフィックや空間は、自分ではなくても出来る。それは、デザインではない。デザインと呼ばれたいだけの、ただの”作業”に過ぎない。


上の話に戻ると、佐野さんがトビさんの作ったロゴを見た事もなく、たまたま似ている物が出来たと言うのならば、二人は違う国に生まれながら何か似通った経験や生い立ちがあり、似た感性の持ち主になった、と思えば良い。

そして何より、その二人が作りだした物が劇場のロゴに採用されたり、オリンピックのロゴに採用されたという事は、自分の歴史や存在を認めてくれる人がいる、という事なのだから、言い争っている場合じゃない。今すぐ飲み屋に行って二人で乾杯するべきだ。


デザインとかデザイナーってさ、そういう物だよ、きっと。


トビさんのデザインの他に、もう一つ、スペインのヘイ・スタジオというデザイン事務所が作ったロゴも似ているという話まで持ちあがった。そのスペインの会社が何と言ったか。以下、7月30日付け、朝日新聞のウェブ版から抜粋

 ”同スタジオの担当者は朝日新聞の取材に「偶然の一致ではないか」としつつも、「(五輪のエンブレムという)重要な案件に、インスピレーションを与えたとしたら誇りに思う」と答えた。

これでいいじゃん。格好いいね。



最後に、今回のオリンピックのロゴが格好悪いとか、変だとか、色々な意見があるみたいだけど、佐野さん、おめでとう。

誰にも文句も言われず議論すら起こらないデザインなんて、3日で飽きられる。

何でも、少し難があるぐらいが丁度いいと思う。



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