2011年1月30日日曜日

精工舎

先日、書斎で探し物をしていた。
クローゼットの奥に置かれていた日本から持ってきた昔のダンボールを開けると、青いアルミのケースが出てきた。子供の頃に、買ったり貰ったりしたキーホルダーを入れておいた所謂 ”宝物箱” だ。

蓋を開けると、中には沢山のキーホルダーが。
その中に埋もれる様にバンドの無い腕時計が一つ。

思い出した。小学校低学年の時に、27年前に亡くなった祖父に貰った物だ。

”宏樹、ほら、これやるよ。”

日のあたる祖父宅のリビングルームの壁一面を埋め尽くした、天井まである茶色い本棚に置かれていたそれを、祖父が手渡してくれた。そんな場面まで覚えている。

大人っぽいこの時計を手にして、少し大人になった様な気すらした。

SEIKO の文字が埋め込まれたその時計にはバンドがついておらず、結局宝物箱に収められたまま27年が経過した。


それは、無口なのにただそこに居るだけで威厳のある人の様に、とてもシンプルなのに荘厳さがあり、奇抜な形で自己表現せずとも静かに存在感をかもし出していた。

”本当に素晴らしいデザインと言う物はこういう物だ・・・” 

惚れ込むのにほんの数秒もかからなかった。

近所の小さな宝石店に持って行き見て貰うと、

”素晴らしい時計だね。1960年代の物だと思うよ。ほら、ここに28 JEWELSと書かれているだろ。中身のメカニズムを表しているんだよ。ローレックスで32、一般の時計で17 JEWELS 位だ。オイルが乾いてしまっているだろうから、メンテナンスだけした方がいいね。”
と小柄な店主が目から虫眼鏡を離しながら語ってくれた。


預けた時計を後日受け取りに行き、これに似合うバンドを探しに行った。
色々と試してみたが、黒い皮のバンドやステンレスのバンドは当たり前の様に似合う。でも何か違う。

新しい命を吹き込んでやりたかった。文字盤と同じうっすらと灰色がかった透明なシャンパンの様な色のレザーを探し、何件も時計屋を回り、最終的に、暫く使っていれば汚れとしわで灰色がかって来る事を期待して白いレザーのバンドを選んだ。

店を出て、バンドを取り付け、腕にはめてみた。

想像もしていなかった程体内からワクワクした感じが溢れ出して来る。タイマーの切れ掛かったウルトラマンが、追加でもう3分与えられたらこんな感じか、などと下らない事まで考える程。

白いバンド自体は目立つが、時計自体は厳か。格好の良いきちんとした身なりの紳士が、目を瞑ったままスッと黙って立っている様な感じ。

文字盤と指針のエッジに付けられた角度が光を捉え、見る度に違う輝きを見せる。文字盤自体も周囲の光の状態でグレーに見えたり、バンドと同じ真っ白に見えたりする。


そこにあるのは、アメリカでよく目にする形だけで中身の無い ”イミテーション” ではなく、
日本の誇る計算されたデザインのディテールと素晴らしいメカニズムだった。
さすが世界に名を馳せた精工舎。





この時計を宝石店に持って言った際、電池交換をして貰う為にもう一つ針の止まった時計を持って行った。宝石店の台の上にその二つの時計を並べて驚いた。

両方とも、止まった針が全く同じ時間を指している・・・。

まるで、この日、この祖父の時計は見つかるべくして見つかったかの様に。

今も、この時計が腕で静かに時を刻んでいる。

Hiroki

2011年1月21日金曜日

ビジネストリップー最終日

シカゴ最終日の朝。

前の晩、朝は二人ともミーティングの準備で忙しかったので、朝食を抜いたとピーターが奥さんのエバに話したところ

”ピーター!ここにパンもあるし、ハムもチーズもあるでしょ。明日は絶対にちゃんと用意するのよ!” と念を押されていた。で、ピーターが言われた通り朝食を用意してくれた。

彼はカプチーノに拘りがあり、カプチーノメーカーに泡だて機能が付いているのにその泡は気に入らないらしく、毎朝ケーキなどを作る時の泡だて器で手動で分厚い泡を作ってくれる。




朝食後、カーペットや家具などの色や仕上げを二人で話し合った。
現在65,000SF (約6040平米)の米系弁護士事務所のプロジェクトを進行中。



もう一つのミーティングの帰りに、インテリア関連のショールームが集まるマーチャンダイズ・マートに立ち寄った。行く途中で見た跳ね橋。大学卒業後に最初に働いていたGary Lee Partnerはマーチャンダイズ・マートにあったので、この橋はとても懐かしい。




当時17階にあったオフィスに着くまでの間、このエレベーターの中でABCの歌を毎日歌って頭を切り替えた。このエレベーターのドアが開いたところから毎日が挑戦だったのだと思う。もう13年も前の事。




今年HALCON (リンク)という家具メーカーの為にGary Lee Studio が発表した物。NEOCON(ネオコン)という1年に一回行われる大きな家具のショーで金賞を取っている。




Steelcase (スティールケース)のショールーム。昔の硬いイメージから比べると、随分と格好良くなった。




カラフルなHaworth(ヘイワ-ス)のショールーム。




雪のため1時間程出発が遅れたが、夜11時半、LA到着。



シカゴのメジャーな企業はダウンタウンに集まっていてタクシーや徒歩、バスや電車で直ぐに行けるので1日に幾つもの用事を済ませる事が出来てとても効率が良い。LAはとても分散されていて自分の車で渋滞の中をいちいち移動しなければならないので、どうも無駄な時間が多い。

外を歩いていると耳がちぎれそうになる程痛くなる温度だったが、シカゴはやはりアメリカの中では一番好きな街だ。

Hiroki

2011年1月18日火曜日

ビジネストリップ3

昨日はピーターの家でデザインの打ち合わせをした後、クライアントとランチミーティングをし、夜は仕事後のエバ、アンディーと小さなバーで待ち合わせ。





一杯飲んだ後、アンディーのアパートへ。
1964年に建てられたマリーナタワーと呼ばれる歴史ある建物(リンク)。



とても特徴のある建物の中に、イームズの家具が映える素晴らしい部屋。
隣にはベッドルームがある。

”ここは俺の隠れ家だよ” と独身のアンディーはここでの一人暮らしが大変気に入っている様だった。納得、そしてちょっと羨ましかった。




建てられた当時の物がそのまま残されているので、壁の厚さ、空間の使い方、ハードウェアなど、どれをとっても絵になる。
壁に貼られていたフロアプラン。一つ一つのユニットがパイの様な形。




\\



天井から床に続くコンクリートの梁。



そして、何と言ってもここの特徴は丸いバルコニーからの景色。
後ろに見える黒いビルは、ミースファンデルローエデザインの物で、アンディーの働く建築デザイン会社のPerkins & Will(パーキンス・アンド・ウィル)も入っている。

"仮病で休んでいる時はバルコニーに出ると見つかっちゃうから気を使うよ”
と冗談を言っていた。







スコットランド出身のアンディーはイギリスで食べるインド料理が大好きらしい。
インドは昔イギリスの植民地だったため両国の関係は深く、イギリスにはインド料理レストランが数多く存在する。



そのままでもとても美味しかったが、この甘いマンゴーソースを混ぜて食べる様に言われた。
初めてやってみたが、これが旨い。


夜遅く、独身のアンディーに
"Stay single! (ずっと独身でいろよ)"
と言って分かれた。


今日はこれからピーターと一緒に営業に行き、夜8時半のフライトでLAに戻る。

Hiroki

2011年1月17日月曜日

ビジネストリップ2

昨日は昼から雪が降り出した。久し振りに見たのでついビデオを撮ってしまった。






ピーターがカプチーノを入れてくれ、それをゆっくり飲んでいると
”朝食はイタリアンで良いかしら?” とエバが。

いや・・・こんなにモツァレラチーズを朝から出されても・・・

頑張って全部食べたが・・・


午後から、近くにある格式高いドレーク ホテルの中にある、



あまり格式高くないカフェでピーターとミーティング。



その後、アンディーとアイリッシュパブで待ち合わせをして、いつもの様に一人一回ずつ皆にビールを買い、飲み終わる頃には皆とても良い気分に。皆、10年前にSOMで一緒に働いていた時と何も変わっていない。

この後、ピーターの家に戻りディナー。




アンディーがスコットランドから買ってきたチョコレート。子供の頃からのお気に入りらしい。
とても美味しかった。




飲みすぎて途中で30分程寝て、また復活。

横で寝ているエバを横目に夜中12時過ぎまで飲み、フラフラの足でアンディーは帰っていった。

”明日の夜は俺が作ったカレーがあるから家に来いよ。”

と言い残し。

Hiroki

2011年1月16日日曜日

ビジネストリップ1

昨日、朝早くの便で東へ飛んだ。



気温30度だったLAから向かった先は、



極寒の地・・・シカゴ・・・気温、マイナス3度。
これに風が加わりWind Chillという体感温度はマイナス10度程・・・




ピーターが空港まで迎えに来てくれ、

”まずはポーランドのスーパーマーケットでワインのつまみを買うぞ”

と言う事で買出しに。ソーセージ、ハム、ポーランドのビールなどを買い込んだ。壁には多種多様なソーセージが。この店で作っているらしい。



ピーターのコンドミニアムはミシガン湖の目の前にある、ミースファンデルローエ設計の貴重なビル。ロビーにはもちろんミースのオリジナルの家具が並ぶ。


家に入ると奥さんのエバが大きな笑顔とハグで迎えてくれ、早速買ってきたチーズを料理し始めた。ポーランドの伝統的な食べ方らしく、羊のミルクで出来たチーズの片面を焼き、その上にクランベリーソースをかけて食べる。なかなか美味しかった。



8時からの外食の前に、チーズ、ハム、パンをアペタイザーにワインを飲みながら話し込んだ。

”タバコ吸いに行こうか?”

と言って、エジプト旅行から帰ってきたばかりのピーターが取り出したマルボロ・・・
恐ろしい写真に加え、読めないアラビア語が恐怖心をあおった。
僕はもう普段はタバコ吸わないのだが、これは面白い、と言う事で一服。




その後、レバノン料理のレストランで彼らの友人も集まり、皆で8人の賑やかな夕食になった。国際色豊かで、アメリカ人、スペイン人、フランス人、オーストリア人、スコットランド人、ポーランド人、そして日本人というグループ。

最初はテーブル席に座る予定だったが、好奇心旺盛のエバの提案で座敷に。

”足が折れちまうよ”
”素直にテーブル席に座ろうよ”
”前回みたいにテーブルひっくり返しちゃうぜー”

と、皆陽気に笑いながら席に着き、ベリーダンスを見ながら約4時間のディナーが始まった。

夜中の12時。店には他に誰もいない。
写真は、”このグラスのワインがなくなるまでは帰らないぞ!”
と居座るピーター。皆に

”お前そこに住んでるみたいだなー!”

と笑われていた。その後凍る様な寒さの中、外に出て皆と何回もハグ。
全員酔っ払っているのでなぜか同じ人と何回もハグをしていた・・・


朝起きると、窓の外にはダウンタウンのビル達が凛と聳え立っていた。


冷たそうなミシガン湖。



今日はこれからビジネスのミーティング。

今年から会社のディレクションが大きく変わる予定。

Hiroki

2011年1月12日水曜日

Open Office

昨日の夜、知り合いの日本人グラフィックデザイナー、ジュエリーデザイナー、お世話になっている家具ディーラー、IT企業、ゼネラルコントラクター、シカゴ時代からの友人などを招きオフィスでささやかなオープンオフィスパーティーをした。

まだ色々とこれから変わって行くと思うが、取り敢えずパーティー用にオフィスを整え、



簡単な食事を用意した。



 グラフィックデザイン会社、STUDIO VEBNO オーナーの山中みどりさんから綺麗な花も頂き、



夜中近くまで色々な話で盛り上がった。皆さん有難う御座いました。


今後はデザイン、音楽、アート、ファッション、出版関係の方などをお招きして、どんどん美術、芸術に関するプロフェッション色の濃い集まりを主催して行けたらと思っている。

Hiroki

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