2013年6月17日月曜日

JAMES TURRELL (ジェームズ・タレル)in Los Angeles County Museum of Art

金曜日、朝10時半。Los Angeles County Museum of Art。ここは、この前の記事にも出てきたが、LAにある現代美術館。

朝8時からLAで進行中のプロジェクトの現場に行き、用事を済ませてからどうしても見たかった物を見に来た。



光を操る芸術家、 ジェームズ・タレルの展覧会 (イメージリンク)。



10時30分
開館30分前についてしまったため、外の椅子でメールをチェックしながら時間をつぶす。

10時40分
幾つも椅子があるにも関わらず、何故か隣の椅子にインド人のおじいさんが来て座る。

10時40分15秒
気味が悪いのでそっと席を移動。

10時55分
ちょっと早いけどドアを開けてくれたので、まだ誰もいない館内へ。

入って目の前にあった、天井に届きそうな程大きなスティールで作られたリチャード・セラの作品の中をゆっくりと歩いてみた。カーブした壁は、一歩足を前に出す度に違った空間と感覚を作り出す。コンクリートの床と鉄板に反射した、’コツーン。コツーン” という自分の靴音が静かな館内に響く・・・

かな、と思ったけど、その日はスニーカーだったので無し。




カメラに収まりきらない程大きなエレベーターを独り占めし、2回の展示場へ。
ちょっと贅沢な気分。



残念ながらジェームズ・タレル展は全て写真撮影が禁止されていた為、実際の写真はないのだが、最初の方の展示は人間の目の錯覚を利用した感じの物だった。

パンフレットにちょうどその写真が載っていた。



立方体に見えるこの白い箱は、実際は部屋のコーナーの壁に映写された白い光で作られた6角形。その他にも下のパンフレットの写真の様な、部屋全体を光で包んだ作品などが幾つもあった。



有名アーティストの作品を目の前にして生意気かも知れないが、それ程大きな感動を得なかった。8年ほど前サンフランシスコに住んでいた頃、友人とナパにワインを飲みに行く途中、通りかかった小さな街の小さな美術館でジェームズ・タレル展をしている看板を目にしてちょっと寄ってみた事があった。それ程大きくない部屋の壁の奥から出ている光が、完全に四角い部屋の感覚を消し去り、光だけが支配したその空間にとても感動したのを覚えている。

人間の目は、物体が反射した光を目の奥に反射させる事により色、形などを識別出来る様に出来ている。その光源自体を綿密な計算によりコントロールするのが彼の作品。

一通り最初のビル内にあった作品を見終わり、ちょっと残念に思いながら隣のビル内にある展示へと歩き出した。

真っ白い展示会場に入ると、向かって左側の長いベンチに何故か皆靴を脱いで座り、何かの順番を待っている。向かって右側には10段ほどの黒い階段があり、それを昇った所に部屋があり、奥からオレンジ色の光が漏れている。破れて中の茶色い綿が出ている所を手で隠しながら、黒人の警備員に言われるまま白いスニーカーを脱ぎ、灰色の靴下の上から青いカバーを履いた。

部屋は高い所にあるため、座っていると奥までは見えない。頭が6個程、ウロウロとその光の部屋の中を動き回っている。上を見たり、下を見たり。

暫くするとその6個の頭から体が生え、部屋から出て来た。何故か数人の人は警備員に手を貸して貰い、一段一段ゆっくりと階段を下りてくる。一体中で何が?そして、僕を含む次の6人が部屋の中に招かれた。ゆっくりと階段を昇る。

そこは、縦横15フィート(約4.5M)づつ程の真っ白い部屋で、入って直ぐに床が下っている。一番奥の壁には色がついていて、後ろを振り向くと入り口がある壁には、光を発するシステムが、
とここまで書いて、面倒になったので後ろの壁のスケッチを描いてみた。



ゆっくりと前進すると・・・フワっと、完全に光に飲み込まれた・・・。

そこは、誇張表現無しで、まさに下の写真の通り。
入り口のスロープの途中から部屋の角が無くなる。上下左右の部屋のストレートの継ぎ目が無くなり、影が消える。そして、その空間を間接的に照らされた光が支配すると、床と壁と天井が一体になる・・・。


この写真にもある様に、目の前にはボヤーっと光った壁がある。
様に見えるが、実はそこには壁がない!多分ない!いや、きっとない!わかんない・・・

本当に、その先がどうなっているのか分からない。どこまで続いているのか、続いていないのか。部屋の中の光の色はゆっくりと変化して行き、自分の後ろから出ている光と、前の光が境目無く調和する。8年前に見た物より、はるかに大きな感動を得た。

角が無いと、影が無く、光の継ぎ目が無い。目の前の色は、薄いスクリーンにでも映し出されたかの様な感覚を得たが、そこには空気以外何も無い。



空気に色が付いているのを初めて見た・・・。

41年生きて来て、初めて見た世界。



しかし、その41年の間にひねくれてしまった心の持ち主の僕は、素直に感動ばかりしてはいられない。
”一体どういう仕組みなんだ??” と頭をひねった結果、多分こうなっていると思う。


横から見た図。


種を明かしてやろうと一生懸命になっていると、静かに部屋中がとても薄い水色になった。それと同時に、さっきまで感じなかった床の冷たさが足の裏から伝わり背中を昇って来る。寒気に思わず腕を組んだが、半そでのシャツから出た腕の体温さえ奪われている様だ。そよ風すら感じる。

寒い。

空調の吹き出し口を探したが、見つからない。

・・・風などもちろん吹いていなかった・・・。
ことごとく・・・その部屋の光に体感温度までコントロールされてしまった・・・。
”早く暖色に変わってくれ” と願いながら、ふっと思った。
”もし雪がオレンジ色だったら、冬のシカゴも暖かく感じたのに。”

10分で次の組と交代だったので、部屋を後にする時に、なぜさっきの人達が階段を下りる際に警備員に手を借りていたか分かった。色の感覚や物の境目を判断する能力が鈍っている。階段が黒で良かった。

”俺は平気!” っと言わんばかりにスタスタと階段を下りてやったが、実はちょっと危うかった。何のための意地だかは自分にも分からない。

色の付いた空気に包まれて、ちょっとは心が浄化されたかと思ったが、10分程度では黒が焦げ茶になった程度だったらしい。


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