2012年4月22日日曜日

ハンドスケッチ

少し前までは、クライアントに見せる絵などは殆どコンピューターで作っていたが、ここ最近手描きのスケッチをする機会が多い。もちろん手描きの方が早く描けるけど、気持ちがのらないと気に入った絵にはならなく、結局、業務的な絵になってしまうので見せる気にならなくなる。

それならば、時間が掛かってもコンピューターで作った物の方がよっぽどプロフェッショナルっぽく見えるので、ついそうしてしまう。

デザインを考えている途中はこんな感じ。





昔はどんな絵を描いていたのだろうと思い、学生時代のスケッチブックを引っ張り出してみた。ヨーロッパに行っていた時は、強制的にスケッチを毎日させられたので、その時が一番描いたかな。


フランス郊外の、モネの育った家の庭で描いた花の絵。
芝生に座って描いてると、子供達が覗き込んできた。
本当は建築以外の絵を描くのが結構好きだ。



ノートルダム寺院。
日本人観光客が多くて驚いた。



コルビジェのラトゥーレット修道院。
修道士が泊まる部屋に一泊した。



バルセロナのサグラダ・ファミリア。
2時間ぐらい、前にあった公園のベンチに座って、ゆっくりと描いていたと思う。



フラメンコを見ながら描いた絵。
なぜ同じアートなのに、建築はもっと全体から滲み出てくるエナジーで表現できないのか、と悩まされた日。




エジプトのカイロ博物館で描いた絵。
警備員がしょっちゅう寄って来て、”Japanese?” と何度も聞かれた。バカにされているのかと思ったら、お金を使い、問題を起こさない日本人観光客にはとても親しみを感じるていると教えてくれた。



イタリアのナポリのレストランで、ピザが焼けるまでに描いていたもの。
この日の前日まで訪れていたエジプトの水にあたって、夜中に見たことも無い下痢が発生・・・次の日ナポリで病院へ行ったが、誰も英語を話せない。人が並んでいる所が受付だろうと思って、お腹をおさえながら暫く並んでから気が付いた。前の人達の多くがお腹をおさえている。しかも、大きなお腹を・・・

”産婦人科じゃね~か!”

一人でつっこんでから、どこに行けば良いの結局分からず、諦めて病院を出た。

1996年の4月だから、23歳の時か。




これは、今家で時間のある時に、アクリルで少しづつ描いている絵。
と言っても、もう半年以上放置されている。


気持ちがのると、指揮者がタクトを振る様にペンが流れる時がある。

ビジネスの事を考えずに絵を描けていた頃は、いつも建築やインテリアの事を考えて生活していたんだろうな。今思えば、それが一番幸せな時期。



最後に、エジプトで友達になった、全く言葉の通じない、20代半ばのホテルのガードマン、モハメド・モハメド・エルシャルケイ(この名前、なぜか忘れない)、とスケッチ大会をした時に、彼が描いてくれた絵。




絵心なさすぎだろ・・・


2012年4月18日水曜日

アメリカ人が見る日本

随分更新していなかった気がする。それとも時間が過ぎるのが早いだけか。

今日は、今デザインをしているレストランのミーティングがあった。まだ公表は出来ないが、とある人気料理のレストラン。クライアントはアメリカに長く住まわれている日本人。レストランのお客さんの対象はアメリカ人。多店舗展開をして行くので、ロゴ、マーケティング資料、そしてインテリアなどのブランディングがとても重要になってくる。

日本と違って多民族国家のアメリカでのマーケティングは難しい。特に、日本で育った僕やクライアントの方には、実際に他の国の人々がどの様にこの食べ物、ロゴ、そしてレストランの雰囲気を理解するのか、分からない事もある。今回のチームには、アメリカ人のマーケティング会社、そして、20年以上アメリカの日本レストランの立ち上げや、スーパーマーケット内での和食の販売コーナーの普及に努めている日本人も含まれている。食べ物の味の好みも大変異なる。試食会をしたところ、日本人とアメリカ人では好みの味がきれいに分かれたそうだ。

このレストランの内装は、一般的な和風にはしない。ただ、店名にはアメリカ人が思うところの日本の象徴の様な、とても人気のある名詞が使われている。日本人が聞くと、”え~?” っと思ってしまう感じの名前でも、アメリカ人に受ければ良いので問題ない。

先に決まったロゴに、僕が慣れない特徴が強くあるので、それに合わせたインテリアデザインに頭を悩ませているのが現実。アメリカ人のデザイナーがデザインしたのに、"本当にこれ、アメリカ人に受けるのか?” とつい思ってしまう。また、その年齢層も気になる。

下の写真は、思い描いていたイメージのマテリアル。実際はもっとポップな感じになると思う。さて、上手に他の媒体と組み合わせて統一感のある店が作れるか・・・。


2012年4月2日月曜日

上野 AGAIN

プロジェクトが完成した次の日の3月24日、良い建築が見たくて小雨の中、上野に向った。もう、飾りと看板だらけの建物やディスプレーを見るのは少し疲れていた。

重厚な東京文化会館はコルビジェの弟子、前川國男氏の設計(1961年竣工)。要所要所にコルビジェの影響が見受けられる。迫力のあるとても威厳を感じる建物。見る角度によって、色々な表情も見せてくれる。




大学3年生の時、少しだけパリで建築を勉強した際に、コルビジェの作品は数多く訪れた。

宿泊もしたラ・トゥーレット修道院。


理解に苦しんだ、ロンシャンの礼拝堂。懐かしい。今年はロンドンに出張があるので、電車でパリも行ってみようと思う。16年振りだ。



話を上野に戻して、前川氏の師匠、コルビジェ設計の国立西洋美術館。


ちょっと晴れてきた。


長い斜面の回廊や長い階段は、コルビジェのデザインの特徴の一つ。パリ郊外にあるヴィラ・サヴォア等にも存在した。現在の、部屋の端にあるドアを開けて次の部屋にただ入る、という繰り返しだけの移動ではなく、建物の中を半ば強制的に決められた方向に歩かせる事により、歩きながら次第に変わって行く普段は見ない景色を見せ、自分の位置や高さを体感させる役目を果たしていると思う。安藤忠雄氏の作品にもよく見受けられる。



色々な角度から物を見る、という事に通ずるもう一つの特徴が、これ。あちらこちらから、いきなり人の頭が現れる。この写真では、奥の壁の開口部と左のバルコニーから人が現れたり消えたり。そして、そこまでの行き方は決して一目瞭然には分からないので、建物に奥行きを感じる。


低い暗い天井は、天井が高く明るい展示部分の壁を一層際立たせる。デコレーションではなく、建築の要素を大変上手に使い、人間の心理を巧みにコントロールしている。



新館の緑色の外壁とプロポーションはとても目を引いた。


外に出ると、雨も上がり、他よりちょっと早めの桜が。



空に伸びる梅の木。



しだれ柳と法隆寺宝物館。谷口吉生氏の設計。また来てしまった。完璧なプロポーション。





旧因州池田屋敷表門(黒門)。昭和29年にこの位置に移転され修復されるまでは、明治25年に芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建。後に東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれたと書いてあった。江戸時代末期の物。

何が凄いって、当たり前だけど、これが手作りなところが凄い。





旧東京音楽学校奏楽堂。明治23年に東京芸術大学音楽部の前身、東京音楽学校の校舎として建造されたもの。昭和62年にこの場所へ移築された。随分綺麗に修復されているが、あちこちから昭和の臭いがして来る。国の重要文化財。







その後、桜とピカチューを見ながらちょっとブラブラして、






不忍池に来たら、屋台が沢山並んでいた。時間は午後5時。この日は朝食にパンを食べただけだったので、お腹が空いていた。目の前にある物珍しいラーメンバーガーなる物に手が出そうになったが、ハズレた場合ムカつくので、無難にたこ焼き屋へ。しかし、500円を出そうと思ったら小銭が490円しかない!1万円札を出すと、”ないねーお釣り。悪いねー。” とおやじさん。横で美味しそうに食べている小学生から10円貰おうかとも考えたが、彼らの4倍近く生きている手前、それは控える事にした。

空腹を抱えつつ、”きっと普段の行いが悪いからだ・・・この心洗いの水には、風呂に入る様にザバーッと浸かった方が良いんだろうな・・・” などと考えながら駅へ向った。



ホテルのある人形町まで帰って来て、食事をしようかと思ったが、毎日一人で店で食べるのは何となく寂しいのでもう嫌だった。で、食べたい物を買ってホテルへ。こういうのは結構贅沢に感じる。

もちろん、リベンジのたこ焼きも忘れずに。

2012年4月1日日曜日

写真 - HOT STUDIO ALL 5

ロサンゼルスに戻る前の晩に、最後の写真を撮らせて頂いた。言葉で色々説明するよりも、見る人が見たなりに好きに解釈して貰えれば嬉しい。

今回は、理解あるクライアントさんのお陰でデザインは一任して頂けたので、プロジェクトの進み方が早い上に、全体の雰囲気の統率が大変取りやすかったのでとても気に入ったプロジェクトの一つとなった。



















女性専用なので、女性の皆さんには、まず一回足を運んでみて頂きたい。

詳しくはこちらから、 WWW.HOTSTUDIO-ALL5.COM

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