2008年9月30日火曜日

infom

今年の初めにあるIT関連のデザインコンペティションに応募した。今は東京で頑張っているChikaさんとKanaeさんと3人で頭をひねらせて考え出した、”人に優しいInformation Technology”。

ウェブサイトにアップしなければと思いつつ、未だ実行できていないので、ここで紹介したいと思う。
Kanaeさんは帰国前に英訳までしていってくれたのに、申し訳ない・・・。
3人とも、とても気に入ったプロジェクトだった。


名前は、information(情報)+foam(泡)=infom (インフォム)




内容は下記の通り。





携帯電話やインターネットが発達し、我々の生活に様々な便利な機能をもたらしてくれる。しかし、人との繋がりさえもコンピューターのチャットやメールで満足してしまう今日、本来の人間関係を忘れ、実質 ”一人”になってしまっていないだろうか。

infom(information + foam) は人と人を繋げてくれる、やさしい泡。消えてなくなる ”はかなさ”を感じる故に、大切にしてあげたくなる ”つながり”。

ここでは、掲示板としての機能と、エモーション(気持ち)を産み出す機能の二つを提案したい。



掲示板



1:1 (1人から1人へ)

自分の携帯電話から情報と受信者の電話番号をInfomに発信すると”Foam (泡)”が産まれる。泡は時間が経過するごとに大きくなってゆき、受信者が現れると近づいて来てメッセージがある事を知らせてくれる。この産まれたFoamはあらかじめ設定された受信者以外は受信不可能なため、公共の掲示板上でありながらプライバシーを保てる。

1:100 (1人から100人へ)

イベントの広告、企業の宣伝など、多くの人に見てもらえる広告塔として使用できる。
登録時に期間を決め、期限が過ぎると泡は破裂して消え常に新しい情報が浮遊する。

100:100 (100人から100人へ)

音楽、フリープログラムなどをInfomにアップロードし、知らない人同士で情報を交換する。
この掲示板は、情報交換の場所としてハードなイメージを持ちながら、一人部屋に閉じこもってコンピューターに向うのではなく、カフェでインターネットをやっているかのように公共の場に”たまり場”を作り出す事が目的である。それに加え、町の外観に色を沿え、待合場所を作り出し、都心でも地方の市町村でも無理なく入り込めるデザインを携えている。



あしあと


Infomの前を通ると、Infomからメッセージが携帯電話に届く。

「ピピ!ここに、あしあとを残しますか?」

あしあとを残すと、小さな泡がInfomに産まれ、12時間Infom上を浮遊する。

送信者の名前がアドレス帳に登録されている携帯電話を持った人がInfomの前を通ると泡が近寄って来る。     

「ピピ!xxxさんのあしあとを発見しました。」

携帯電話のアドレス帳に登録されていても、その多くの人は常時連絡を取り合う仲ではない。疎遠になってしまった10年前のクラスメート、懐かしい友達、昔の恋人、そんな人たちが自分と同じ道を通った事を知り、”気持ち”が生まれ

「あの人は今何をしてるのだろう?」

「この前、あの道に私もいたんだよ。と連絡してみようかな?」

という心と言葉のつながりを作る。

Infomは、町にたたずみ、ちいさなFoamで優しくそっと人と人をつなげてくれる。

Hiroki


2008年9月29日月曜日

Design In Progress

現在LAダウンタウンに、カフェ+ギャラリー+リテールの複合スペースのデザインをしている。
メールや電話に気を取られずにデザイン出来る様、コンフェレンスルームに逃げ込む。持参するものは、

1:お気に入りの黒ペン

2:お気に入りの赤ペン

3:お気に入りのトレーシングペーパー

4:必要そうな参考書類

5:お気に入りのチョコレート

紙の上だけ見ながらペンを走らせると、そこの部分だけを頭で考えてしまい、全体の感じすらも頭で理解しようとしてしまう。

いつも、目をつぶって自分がそのスペースにいる状態を想像し、左右、上下に見える物、または見たいものを頭の中で生み出しながら前に進んで行く。


この目を閉じる癖は学生時代からの物で、周囲の人が驚く時もある。
”何寝てるんだ!?”と怒られた時さえ・・・
また、おかしな人に思われそうで、あまり人前ではやらない。

この前、自分のオフィスのドアを開けたままデザインを考えていた。ドアが開いていたので、目を閉じずに一点を見ながら考えていたら、Tomoeちゃんが入って来て

”内田さん、大丈夫ですか??”

と心配し出した・・・。

デザインを想像していただけなのですが・・・。




今日のコンフェレンスルームの状態。

蛍光灯の白い光は嫌いなので、余程必要の無い限りつけることは無い。デザイン中の机の上はぐちゃぐちゃ。人に寄っては綺麗に整頓された机の上で綺麗なデザインをして行く人もいるが、僕の場合は汚い机の上から綺麗な(?)物を作り出し、そのギャップを楽しむ。

線を一本引きながら、色、形、コスト、建築法規などを一編に考える。でも、乗っている時は体の奥から作りたい物が感じられ、胸の辺りで止まる。そしてそれを、まるで交響楽団の指揮者の様に手先に伝え、紙の上に描いてゆく。

と、この現場を見られるとオフィスの皆におかしな人に思われるので、動きは結構小さめにしている・・・。まぁ、実際はそんなに陶酔しないが。

でも、気持ちで感じて、体で表現する事は何においても大切な事だと思う。演劇や歌などはまさにそれだろう。

今気がついたが、お気に入りのチョコレートの残りを机の上に置いて来てしまった。

掃除のおばさんに食べられなければ良いが。

Hiroki


2008年9月28日日曜日

9th Annual Asian Small Business Expo

以前から知り合いで、大変お世話になっているLAのビジネスコンサルタント、青木氏にお誘いを受け、昨日Asian Small Business Expoに出展して来た。

場所はLAダウンタウンのOmni Hotel。会場に着くと、思っていたよりも大々的に大変綺麗な会場で行われていたので、少々驚いた。

今回で9回目のこのExpoは、行政機関、銀行、一般企業などがこれからアメリカでビジネスを始めるアジア人を応援する事を目的で毎年行われる。それ故、訪れる人の殆どがこれからビジネスオーナーになろうとしている人。中国、台湾、タイ、韓国、フィリピン、マレーシアなどなど、数多くの国の人が訪れた。出展者は英語の他に最低一つのアジア圏の言葉を話せなければならないという決まりがあったのは面白かった。徹底された趣旨の基、英語以外の言葉でもビジネスセミナーが行われた。

写真は、終わり間際なので人がいないが、かなり多くの人が訪れ、温かいコメントを皆様から頂いた。用意した会社のパンフレットの山も、僕の箱いっぱいの名詞も底を尽きる寸前で、皆で”なくなったらどうする?”と、どきどきしていた。


公共事業受注に対して、ガス会社、LAXを含むLA近郊の空港、港、などの担当者と面接の機会を与えられ、Small Businessに対するアドバイスを受けることも出来た。カリフォルニアはSmall Business、Minority Business (白人以外のビジネスオーナーの会社)、Women Own Business(女性がオーナーの会社)に対し色々と援助の手を差し伸べており、公共事業の場合それらの会社をある割合で使わなければならないと決まっている。



アメリカに永住目的で住んでいるアジア人は皆本気でビジネスをしており、それを助けようと周囲がバックアップしてくれる。中国人、韓国人に特にそれをとても感じる。LAの韓国街は建築ラッシュだし、新たなビジネスを開く人に対して皆個人的にどんどん投資してくれるという話も聞いた。投資する事により自分の投資家ビザを得ることが出来るので、それが大きな目的の一つらしいがそれで結構だと思う。日本食レストランが買いあさられてしまうのも、納得が行く。LAの日本人も、もっと皆で助け合いながら活性化を図れればよいと思うのだが、分散されている感じを強く受ける。
今回のこのExpoで、我々のLAでのビジネスに対する考え方にまた変化が生まれ、次のステップへの足がかりが見えてきたと思う。
最後に、Tomoeさん、Yusuke君、お疲れ様でした。

Hiroki

2008年9月18日木曜日

ホリプロ オープニングパーティー

昨夜はHoripro Entertainment Group, Inc. と Horipro Music Academyのオープニングパーティーに招かれたので参加させて頂いた。約半年前は古いコメディーシアターだった2階建ての建物の中身を、1階は100%、2階は50%を取り壊し、1階はミュージックスクールやシアター、2階はコーポレートオフィスという構成になっている。最初現場を訪れた時は、さて、どこからデザインして行こうかと頭を悩ませたのを覚えている。


パーティーは、グラミー賞を取った音響エンジニアや映像、音楽関係者、メディアなど大勢の人で賑わった。ホリプロが現在売り出し中のアーティスト達の演奏もあり、さすがエンターテインメント企業という顔ぶれ。


株式会社ホリプロの代表取締役副会長、堀一貴氏と。

オーストラリア出身の21歳のシンガーソングライター、クロエ・レイトン(http://www.myspace.com/chloeleighton)も歌を披露した。彼女の演奏は、以前デザインミーティングの後に ”ご一緒にどうですか?”とお誘いを受け聞かせて頂いていた。 その時彼女の演奏を聞く為にその部屋にいた顔ぶれとは・・・

ホリプロ・エンターテインメントグループ、シニアーバイスプレジデントの山本氏、
大洋音楽、代表取締役社長の水上氏、
クロエのマネージャー、
そして・・・インテリアデザイナーの僕・・・

さて、音楽は好きだが、高校時代、バンドでエレキギターをやっていたぐらいで、まったくの素人の僕がこの様な顔ぶれの中でどうしたものか・・・と・・・少々悩んだ。

皆が英語でなにやらやり取りした後、彼女がキーボードの前に座り、部屋中にゆったりとしたピアノの音が流れ出した。前奏が終わり歌い出した彼女の声は、口から出されていると言うよりは体中からかもし出されていると言った方が相応しく、僕を含めた4人の観客の目を順番に一人ひとり見つめ、微笑みながら歌い続けた。

英語の歌の為、全ての歌詞やニュアンスを理解できた訳では無かったが、その必要が無いようにさえ感じられた。一人ひとりに伝えるように歌う仕草を受け、僕の耳は掃除機のように彼女のメロディーを吸い込み始めた。簡単に言うと、彼女と彼女の歌が作り出したその場の雰囲気に、完全に飲み込まれていた。 そして、歌が終ると、誰よりも先に

”音楽に対しては素人ですが、彼女の語りかける様な姿勢と、作り出す雰囲気に感嘆しました。”

と述べた。

半分は本当にそう思ったから。残りの半分は、黙っていたらそれこそ完全に部外者感が増すから頑張って・・・。


昔スペインのとても小さな劇場でフラメンコを見た事があった。その時痛烈に感じた事がある。

”なぜ音楽や踊りはいとも簡単に人の心に届き、その場の雰囲気を一瞬にして作り出す力を持っているのだろうか。それに比べてインテリアデザインや建築にはそこまでのパワーを現すのが難しい。”

涙が出るほど切なくなったり、落ち込んでいる時に勇気付けられたり、体が勝手に動き出す程楽しくなったり、と音楽には物凄い力がある。

その時僕が自分のデザイナー人生のゴールとしてたどり着きたいと思ったのは、直接的なイメージ(映像や装飾)無しで、訪れた人に涙を流させる場所を作ることだった。楽しいイメージを与えるのはそれ程難しくないが、嬉し涙でも、悲し涙でも、その場に踏み入っただけでそれを流させるのは至難の業だと思う。

人の心に響くスペースを作りたい。が、まずは、それを欲してくれる、または理解してくれるクライアントに巡り合えるかどうかも重要。

最後に、前出のホリプロの山本氏が ”近いうちに打ち上げをやりましょう。” と言って下さった。通常はこのオープニングパーティーに呼ばれて終了なのに、 この方は、本当に周りの人を大切にする人でしばしば感心させられてしまう。

Hiroki

2008年9月17日水曜日

がらくた

買い物に行った先で、安くて面白いものがあるとついつい買ってしまう。それらがよくある店は、IKEA、Homedepot、Ace Hardwareなどなど。何に使えるか分からないけど、きっと何かに使えると直感が働く。が、そのままダンボールの中で眠りにつく物も少なくはない。僕の家にもこの様なダンボールがあり、時々思い出した様に中を開けると、宝の山だったりする。


仕事中にちょっと時間ができると、ダンボールをひっくり返して遊び出してしまう。アシスタントの子達は、それを横目に真面目に仕事をしている。真面目な人達でとても助かる。

さっきエリカさんに
”内田さん、今時間ありますか?”
と聞かれて、無いとは言えなかった・・・。










こんな物でもちょっと組み合わせると、











または、





"何それ?”と聞かれると、”何でもないけど、面白くない?”としか答えられないが・・・。



こうして形で遊んだりしているうちに時々何かが出来上がる。特に照明器具を作るのが好きだ。

MOMOの壁一面のライティングもこうして生まれた。

http://www.hirokiuchidadesignlab.com/momo.html



キッチンで使う水切りの中にライトを入れたもの。





中で光が反射し合い、ハートの模様を作り出す。


以前もBlogに登場したMushiMushi。
ウェブサイトのStudiesにも掲載。
http://www.hirokiuchidadesignlab.com/studies.html


これは光が炎の様にフィラメントの周りを動き続ける電球。自分の部屋の天井からぶら下がっている。

部屋のドアのとって・・・。決して回せない。

実はこの遊びは僕達にとってとても重要で、目の前にある物をそのまま捉えずに、頭を柔らかくしてその他の用途を偶然でも必然でも良いから見つけ出す。見つからなくても良いから、これをする事で創造する楽しさを覚えられる。

Hiroki

2008年9月15日月曜日

アートとスペースの融合

昔から、アートのインスタレーションとしてのインテリアデザインや建築デザインにとても興味がある。ただそこにあるだけで、何か語りかけてくる物体。そして、その物体が醸し出す空気が部屋の雰囲気を作り出す。

これは、Los Angeles County Museum of Art (http://www.lacma.org/) の新館に設置されているリチャード・セラの作品。(携帯電話のカメラで撮影したので、画像は良くない)。

とてつもなく大きく、うねった様になっている内側を歩くことが出来る。中にいると、完全にその世界に取り込まれてしまう。




いつか、この様なインテリアデザインをしてみたいと思う。

ホリプロの新しいオフィスのデザインの中に、ちょっとしたアートを入れてみた。階段の天井部分で斜めに張り出している床を利用したモダンな花畑を作った。しかも自分と現場監督のチャックで。

ステンドグラスは既存のもの。花畑は出来上がったばかりで、まだきちんと掃除する前の写真。


実はここ、トイレ。

この緑の人工芝と人工の花は人工的にレイアウトされ、このトイレの雰囲気を作り出す。

ドアを開けた時に、”なんだこれ?” と思わせる奇抜なデザイン。

ゴールドディスクとサーティフィケートが壁を埋める。


明後日はホリプロのオープニングパーティー。

Hiroki

2008年9月10日水曜日

出会いについて

今は水曜日の午後7時。会議室でこれを書いている。自分のオフィスにいると書類だらけで、何だかんだとやらなければいけない事が目に付いてしまうので、会議室にたまに逃避行する。なのでうちの会議室はいつも皆に綺麗にしておいて貰っている。お客さんが突然訪れた時の為、と言っているが実は自分落ち着ける綺麗な場所を一つ確保しておく為。


先週の金曜日の夜にオフィスでやった、学生を交えた交流会の残りのビールを冷蔵庫から取り出し、ある学生が僕にインタビューに来た際に持って来てくれたどら焼きを酒の肴に飲んでいる。前回来た女の子は菓子折りを持ってきてくれ、更にはその後、友達のハワイ土産の美味しいチョコレートまでわざわざ届けてくれた。次の男の子はどら焼きを。若いのにしっかりと心配りが出来るのだなと関心してしまった。人と会う際に手ぶらで行かないという行為は、相手への感謝の気持ちを表す良い文化だと思う。
甘いもの好きの僕としては、これなら毎日インタビューを受けても良いかも、と思ってしまう。昔から飲み会の買出しに行く時に、スルメイカを買っている友人を横目にチョコレートを大量に買っていた。勿論皆からの反感も買った。
8年程前に、シカゴのある有名な家具のショールームに日本の著名なインテリアデザイナーの内田繁さん(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E7%B9%81)がレクチャーにいらした。レクチャー後のリセプションの際、通訳をされていた女性が席を外し、アメリカ人から色々と英語で質問をされ、困っておられた内田さんに 
”宜しければ僕が通訳致しましょうか?”
と尋ねると、
”あ、お願いできますか。”
とおっしゃられたので、30分程通訳をし、その後名詞を交換して頂き少々お話もさせて頂いた。
”あ、あなたも内田さん?奇遇ですねー”と、とても気さくな方だった。
数週間前に日本に帰国した際、あるインテリアデザイン企業の取締役の方と会食をして頂いた。お誘いしたレストランがたまたま内田さんのオフィスの側で、更にたまたまこの方が内田さんと長い間交流を持たれていた為、内田さんの話になり、シカゴでの出来事を話した。
”もう随分前の事なので、勿論覚えていらっしゃらないと思います。”
と言ったところ、
”いや、あの人はきっと覚えていると思うよ。人間関係をとても大切にする人だから。私も色々彼から学んだぐらいだよ。”
とおっしゃった。
時間が遅かったのでその時はオフィスにお邪魔しなかったが、次回ご紹介頂ける約束をして下さった。
世界的に有名な方で、数え切れない程の人に会っていらっしゃる有名人が、もしあの時の事を覚えていて下さったらきっと感動するだろう。
実は、シカゴでお会いした後、どこかでまたお会いし、その時にあのシカゴでの事をお話した事があった・・・という記憶が頭の片隅にある・・・。
”あぁ、シカゴでレクチャーしたのは覚えていますよ。”と言われたと思う。
通訳をした事を話すと、
”そうでしたか、そんな事がありましたか。お世話になりました。”とおっしゃられた・・・記憶が・・・。
しかし、どこでお会いしたのか全く思い出せない・・・。
人との出会いをもっと大切にしないといけないと思う今日この頃。
Hiroki




2008年9月4日木曜日

始めの一歩 2

さて、前回の続きで、なぜインテリアデザイナーになったかの話しを書こうと思う。

イリノイ州のアーバナ・シャンぺーンの英語学校で10ヶ月を過ごし、シカゴに戻ることにした。やはり大きな町に住みたかった。取り合えず母親の家に戻ったものの、とある事が原因で20歳の誕生日に色々ともめ、その日に家を出た。

成人になったその晩は、家から30分程はなれた安モーテルに一人で泊まり、年齢をごまかして買ったビールを飲みながら(アメリカでは成人は21歳)その時着ていた服のままで冷たいベッドに潜り込んだ。

シカゴに戻ってからは、ビザを保持するため郊外にある2年制の短大に通い、週3日は昼は日本のビデオ屋さんで働き、夜はカラオケスナックでレーザーディスクを交換しながら

”はい、有難う御座いましたぁ。次は田中さん、お願いしまーす・・・。”

とふてくされた声でやっていた。呼び方の発音が気に食わなかったのか、酔ったお客さんに

”お前な、ヒック* 水商売やってるんだから、もっと、ヒック* 楽しそうにかつれつ良くしゃべれ! ほら、”い”の発音してみろ、”い”だ、言ってみろ!”

などと、”い”の発音について色々とご伝授頂いた事もある。自分では水商売などと思っておらず、マスターがとても良い人だったので、頼まれてお手伝いしていたぐらいの気持ちでいた。
どちらにしても、気持ちのよい夜ではなかった。

ある晩いつも通りディスクを代え、休憩をしにバーカウンターの方に行くとマスターの知り合いだと言う年の頃27歳位の女の人がカクテルを飲んでいた。話を聞くと美術大学に通っていると言う。色々と話しをしているうちにその人が学校で経験している話しに自然とのめり込んだ。

もし大学に行くとしても、将来仕事をする時に潰しの利く経済学部か経営学部に入るかな、ぐらいに考えていた自分にとって、アートなどという将来何の足しになるか分からない物を教えてくれる学校に通うという選択肢はそれまで無かった。昔から絵を描いたり、部屋の模様替えなどが好きだった自分にとって何か新しい物が見えた気がした。

今は名前すら覚えていないその女性が通っていた学校が、1年半後に僕が通うことになった 
The School of The Art Institute of Chicago (SAIC)
という、とてつもなく長い名前の学校だ。
この学校はArt Institute of Chicago(シカゴ美術館)を所有する学校で、100年以上前は、今の美術館は学生用のギャラリーだった。その学校でインテリア・アーキテクチャー学部に入学した。

実際は、願書を送ったところ、色々と制限があり作品を20~30点見せなければならなかった上、入る際の英語のテストもピカソの歴史についての穴埋め問題などで、言葉が出来ても歴史の知識が無いと合格は出来なかった。バンドブームだった高校時代での選択は音楽だったため、もちろんそんな物は持ち合わせていない。と、言うことで2年制の短大でアートのクラスを取り始めた。

始めてみたらこれがまた面白い。毎晩窓の外が明るくなり始めるまで、家で宿題の絵を何枚も何枚も描いた。英語があまり話せなかった自分にとって、作品についての説明をする事は苦手だったが、絵や彫刻は自らそれを代行してくれた。自分の作る作品が最高のコミュニケーション・ツールとなった。

同時に取っていたアメリカ人向けの英語のクラスでは、"英語が話せないとばれるのが怖い”という思いからグループでの話し合い時も堂々と発言する事すら出来なく、自分の不甲斐無さに、帰りの車の中で、涙を流しながらハンドルに頭を打ち付けた時の事を今でも覚えている・・・。

(その時のショックで、カラオケバーで僕をアートの道に導いてくれた恩人のその女性の名前は忘れたに違いない。)

SAICに合格してからは、毎日家に帰るとまず買いだめしてあるチョコレートを口いっぱいほおばり、空腹をまぎらわした。食事を作る時間がもったいなかった。そして机に向かい、学校の課題に夜中過ぎまでとり組んだ。面白くて仕方なかった。大学3年の時は余りの楽しさに授業を取りすぎ、週に3日は徹夜をし、学校の廊下で毎日1~2時間程寝る、という生活を繰り返した。ある夜中に体から急に力が抜け、椅子から転げ落ちた時はさすがにこのままではいけないと思い、冷蔵庫まで這って行き生で食べれる物を口に押し込んだ。

その他の時は、学校の図書館で歴代のデザイナーや建築家の作品を眺めながら、ただただ

”カッコいいなー。こういう所に自分が住んだらどんな感じなんだろう?”と

妄想にふける日々。毎日違う本を借り、帰りのバスの中で読んだので、図書館のおじさんとはとても仲良くなれた。潰しの利かないこの勉強をして、将来才能が無いと分かったら一体どうすれば良いのだろう、と考えて眠れない時はよくあったが、朝起きると共にそれは毎回頭から消えた。走るバスの中から、朝日に照らされるミシガン湖を見ると、ただ ”絶対一番になってやる”としか思えなかった。何が”一番”かも分からないまま。

自分の興味のある勉強をするという事が、これ程楽しく、そしてそれが一人の人間の人生において、とても効率的な時間の過ごし方であると痛烈に思い知らされた。無駄も悪くない。でも、毎日走り続け、24時間気分的にも実質的にも充実していたあの状態は、若いから出来たとも言えるだろう。

お陰で学校からいくつか賞を頂いたり、卒業後は生徒を教える立場として学校に招いて頂けたり、他の学校からも講師として招かれたりしたので、学生が終った今でもとても馴染みの深い場所となっている。

長くなったが、要約すると、インテリアデザイナーになったきっかけは、昔から自分が持っていた性格と趣味を統合的に当てはめる事の出来る分野を見つけるきっかけに巡り合えた事。そして、”それが好きだ”とはっきり自分で分かった事だと思う。その原動力は僕の為に物凄い力を発揮してくれた。

SAICを卒業してから11年経った今でもデザインとは何か、アートとは何かと悩む時があるが、一つだけ分かっていることは、

”一人一人の人生そのものがアートである”

と言うこと。

その時代に生き、その時の社会から影響を受け、思い悩み、表現し、そして死んでゆく。

と言うこと。

Hiroki

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