2013年10月4日金曜日

Paradocs Coffee and Tea

例えば土曜日の朝、一人。いつもよりゆっくりと目が覚めて、厚手のベージュのカーテンを開けると小雨が降っていたとする。特に用事も無く、休日ぐらい一人で過ごしたかったり。洗面所へ行き、ボサボサの頭に水を付けて無理やりブラシでとかす。まだちょっとだけ跳ねている髪の毛を、左手の親指と人差し指の先でつまんで、”ま、いいか。” と一言。

リビングへ行き、先週ゴルフで痛めた腰に手を当てながら一瞬だけテレビをつけて、2,3回チャンネルを変えてからOFFのボタンを押し、リモコンを茶色いソファーの上に放る。テーブルの上の携帯を手に取り、財布をズボンの後ろのポケットに入れようとしてポケットを探すが無い。まだ寝巻きだった事に気がついてちょっとだけ苦笑するが、特に面白くはない。

ベッドルームのクラブチェアーの上に脱ぎ捨てられていたTシャツの匂いをちょっと嗅いでから左腕を通し、酔っ払いの様に床にのびているジーンズを右足で拾い上げて足を通す。ベッド脇のサイドテーブルに置かれた、読み出すと同時に睡魔が襲ってくる読みかけの本を手に取り玄関へ向かい、つま先が少し汚れたいつもの白いスニーカーに足を通して、ドアノブに手をかける。かかとが潰れているのは、外のポストを見に行く時にいつもサンダルの様に履いて踏みつけているから。

寝癖を直すのに調度良いからと、傘をささずに小雨の中を歩いて3分。えんじ色のドアをゆっくり開けて、自分の家の延長の様な、どこか懐かしささえ感じる近所のカフェへ入る。コーヒーとペーストリーをオーダーしてから窓際のいつもの席に腰を下ろし、コーヒー豆をひく音と店内に流れるジャズをバックグラウンドに、持ってきた本を何となく開いてみる。

ここは、そんな場所。

ロサンゼルスの一角に、日本人のご夫婦がオーナーの小さなカフェをデザインさせて貰った。
出来るだけ正直で、素直で、飾らない空間。



紅茶の缶が並ぶ棚。古く見える様に木をステインしてもらった。



家具は全て中古家具屋さんから探してきたもの。人が使っていた物だから、飾らない親近感を与えてくれる。











夕方には窓から西日が差し込んで、室内に勝手に模様を作り出す。





壁や天井には、少しザラザラしたテクスチャーやランダムな表情が欲しかったので、工事業者さんと色々と試して、タイルなどを貼る時に接着剤として使用するThinsetを使用。気に入った表情が出るまで何度かやり直しをしてもらった。こういう事に快く協力してくれるのは、日系の業者さんでは唯一長いお付き合いをさせて貰っている、AK PRO CONSTRUCTIONSさん。




厳選されたコーヒーと、後ろのキッチンで奥さんが手作りするペーストリー。
ここでは、美味しくない物は出てこない。





また食べてしまった。口に入れると柑橘系の後味を残して勝手に溶ける、不思議なケーキ。何が入っているかは教えてくれない。食べれる物しか入っていないとは思うけど。



お洒落なカフェはよくある。そして、そういう場所に人は集まって、実はそういう場所に居る "自分” を楽しんでいる。ここは、そんな自分すら忘れてしまう様な場所。正直なところ、デザイン的に特別な物は何も無い。でも、行ってみると分かって貰えると思う。そういう物が無く、力の抜けた感じの良さを。

写真を撮っている時にオーナーさんから ”パーツばかり撮って何に使うんですか?”と尋ねられた。今回の様な雰囲気のカフェで、"インテリアデザイン / デコレーション” のプロジェクトは、全体の "空気” を創造する。普段は気にも留めないが、ふとした時に目に入る小さな事が、実は空気を創り出してくれている。

重なり合った椅子の背もたれとか、テーブルの下に伸びた影とか。


いつも笑顔のオーナー、Takaさん,Yumiさんと。

Paradocs Coffee and Tea
1032 South Fairfax Avenue
Los Angeles, California 90019



2013年6月17日月曜日

JAMES TURRELL (ジェームズ・タレル)in Los Angeles County Museum of Art

金曜日、朝10時半。Los Angeles County Museum of Art。ここは、この前の記事にも出てきたが、LAにある現代美術館。

朝8時からLAで進行中のプロジェクトの現場に行き、用事を済ませてからどうしても見たかった物を見に来た。



光を操る芸術家、 ジェームズ・タレルの展覧会 (イメージリンク)。



10時30分
開館30分前についてしまったため、外の椅子でメールをチェックしながら時間をつぶす。

10時40分
幾つも椅子があるにも関わらず、何故か隣の椅子にインド人のおじいさんが来て座る。

10時40分15秒
気味が悪いのでそっと席を移動。

10時55分
ちょっと早いけどドアを開けてくれたので、まだ誰もいない館内へ。

入って目の前にあった、天井に届きそうな程大きなスティールで作られたリチャード・セラの作品の中をゆっくりと歩いてみた。カーブした壁は、一歩足を前に出す度に違った空間と感覚を作り出す。コンクリートの床と鉄板に反射した、’コツーン。コツーン” という自分の靴音が静かな館内に響く・・・

かな、と思ったけど、その日はスニーカーだったので無し。




カメラに収まりきらない程大きなエレベーターを独り占めし、2回の展示場へ。
ちょっと贅沢な気分。



残念ながらジェームズ・タレル展は全て写真撮影が禁止されていた為、実際の写真はないのだが、最初の方の展示は人間の目の錯覚を利用した感じの物だった。

パンフレットにちょうどその写真が載っていた。



立方体に見えるこの白い箱は、実際は部屋のコーナーの壁に映写された白い光で作られた6角形。その他にも下のパンフレットの写真の様な、部屋全体を光で包んだ作品などが幾つもあった。



有名アーティストの作品を目の前にして生意気かも知れないが、それ程大きな感動を得なかった。8年ほど前サンフランシスコに住んでいた頃、友人とナパにワインを飲みに行く途中、通りかかった小さな街の小さな美術館でジェームズ・タレル展をしている看板を目にしてちょっと寄ってみた事があった。それ程大きくない部屋の壁の奥から出ている光が、完全に四角い部屋の感覚を消し去り、光だけが支配したその空間にとても感動したのを覚えている。

人間の目は、物体が反射した光を目の奥に反射させる事により色、形などを識別出来る様に出来ている。その光源自体を綿密な計算によりコントロールするのが彼の作品。

一通り最初のビル内にあった作品を見終わり、ちょっと残念に思いながら隣のビル内にある展示へと歩き出した。

真っ白い展示会場に入ると、向かって左側の長いベンチに何故か皆靴を脱いで座り、何かの順番を待っている。向かって右側には10段ほどの黒い階段があり、それを昇った所に部屋があり、奥からオレンジ色の光が漏れている。破れて中の茶色い綿が出ている所を手で隠しながら、黒人の警備員に言われるまま白いスニーカーを脱ぎ、灰色の靴下の上から青いカバーを履いた。

部屋は高い所にあるため、座っていると奥までは見えない。頭が6個程、ウロウロとその光の部屋の中を動き回っている。上を見たり、下を見たり。

暫くするとその6個の頭から体が生え、部屋から出て来た。何故か数人の人は警備員に手を貸して貰い、一段一段ゆっくりと階段を下りてくる。一体中で何が?そして、僕を含む次の6人が部屋の中に招かれた。ゆっくりと階段を昇る。

そこは、縦横15フィート(約4.5M)づつ程の真っ白い部屋で、入って直ぐに床が下っている。一番奥の壁には色がついていて、後ろを振り向くと入り口がある壁には、光を発するシステムが、
とここまで書いて、面倒になったので後ろの壁のスケッチを描いてみた。



ゆっくりと前進すると・・・フワっと、完全に光に飲み込まれた・・・。

そこは、誇張表現無しで、まさに下の写真の通り。
入り口のスロープの途中から部屋の角が無くなる。上下左右の部屋のストレートの継ぎ目が無くなり、影が消える。そして、その空間を間接的に照らされた光が支配すると、床と壁と天井が一体になる・・・。


この写真にもある様に、目の前にはボヤーっと光った壁がある。
様に見えるが、実はそこには壁がない!多分ない!いや、きっとない!わかんない・・・

本当に、その先がどうなっているのか分からない。どこまで続いているのか、続いていないのか。部屋の中の光の色はゆっくりと変化して行き、自分の後ろから出ている光と、前の光が境目無く調和する。8年前に見た物より、はるかに大きな感動を得た。

角が無いと、影が無く、光の継ぎ目が無い。目の前の色は、薄いスクリーンにでも映し出されたかの様な感覚を得たが、そこには空気以外何も無い。



空気に色が付いているのを初めて見た・・・。

41年生きて来て、初めて見た世界。



しかし、その41年の間にひねくれてしまった心の持ち主の僕は、素直に感動ばかりしてはいられない。
”一体どういう仕組みなんだ??” と頭をひねった結果、多分こうなっていると思う。


横から見た図。


種を明かしてやろうと一生懸命になっていると、静かに部屋中がとても薄い水色になった。それと同時に、さっきまで感じなかった床の冷たさが足の裏から伝わり背中を昇って来る。寒気に思わず腕を組んだが、半そでのシャツから出た腕の体温さえ奪われている様だ。そよ風すら感じる。

寒い。

空調の吹き出し口を探したが、見つからない。

・・・風などもちろん吹いていなかった・・・。
ことごとく・・・その部屋の光に体感温度までコントロールされてしまった・・・。
”早く暖色に変わってくれ” と願いながら、ふっと思った。
”もし雪がオレンジ色だったら、冬のシカゴも暖かく感じたのに。”

10分で次の組と交代だったので、部屋を後にする時に、なぜさっきの人達が階段を下りる際に警備員に手を借りていたか分かった。色の感覚や物の境目を判断する能力が鈍っている。階段が黒で良かった。

”俺は平気!” っと言わんばかりにスタスタと階段を下りてやったが、実はちょっと危うかった。何のための意地だかは自分にも分からない。

色の付いた空気に包まれて、ちょっとは心が浄化されたかと思ったが、10分程度では黒が焦げ茶になった程度だったらしい。


2013年5月26日日曜日

久しぶりに- 2

昨日はまたMさんとミーティングをする為、ビバリーヒルズへ。

車の騒音で満たされたサンタモニカ・ブルバードから一歩中に入ると、相変わらず緑の多い閑静な住宅街が広がる。


ランチをしながらミーティングをする事になったが、前回のMさんとしたディナーの教訓から、行き先は僕が決めておいた(前回の記事 久しぶりに)。

ハリウッドにあるCheeboというレストランへ。ここのパスタの茹で方は上手で、ピザもとても美味しい。



シュリンプの入ったパスタ、プロシュートのピザ、ツナとアンチョビのサラダをフルサイズで頼むと、サーバーの人が ”え、そんなに沢山?” という顔を一瞬したが、”余ったら持って帰ればいいし” と取り合えず言っておいた。





目の前に美味しそうな食事が一気に運ばれて来たが、仕事の話をしなければ・・・。よし、ここはいつもの方法で。そう、まずはMさんに一生懸命しゃべらせて、そのすきに一生懸命聞きながら考えている振りをして食べる。上手い!、そして美味い!

一通り食べ終えてから、

”ちょと、絵を描く紙持ってない?”
 
ふと見ると目の前にクレヨンが入ったビンが。思い出した。このレストランの紙のテーブルクロスは落書きが出来る様になっているんだった。

以前ここにアシスタントの子達と来た時は、ドラエモンの描き方で議論をしたが(関連記事リンク)、今回はそこに、なかなか大き目のプロジェクトのアイデアが描かれた。



余ったら持って帰る予定だった食事を全て2つの胃袋に収納し、2時間半後に手ぶらでレストランを後にした。

外は快晴。いつもの様に湿度は低く、ゆっくりと風が流れている。

レンガ造りの建物の中にある、こじんまりとしたカフェでミーティングの続きを。



午後4時にミーティングを終了しMさんを家まで送ったが、この時間は大渋滞の時間。片道5-6車線もある高速道路が渋滞で動かなくなる。

と言う事で、以前借りていたオフィスの隣にあるLos Angeles County Museum of Art (LACMA)へ久しぶりに行ってみた。

”こういうオジサン、たまにいるよなー ” と思いながら隣の公園にいた熊の横を通り過ぎ、ミュージアムへ。


デザインをする時、感覚と思考のバランスをとる事にしている。人間の周りを包み込む環境のデザインをするのに、頭で考えた事だけを形にしても訪れた人に何も心で感じてもらえる事はないと思っている。反対に、絵や彫刻ではないので、感情的になり過ぎても建物は成立しない。ここ暫くデザインの作業から離れていたので、まずは自分の気持ちの部分を満たし、それを表現出来る状態までまた持って行くのはなかなか大変な作業。

やっぱり普段から色々と感じていないと駄目だな、とつくづく思った。

今回は、色彩が大きな意味を持つアートから色を取り除いてやる、という意地悪をしてみた。その物が、色ではなく形、光、影で表現している物を見てみたかった。






色々な立体を見た後、青い壁に書かれた説明書きのフラット感に目を惹かれた。



この美術館は、日本では関西国際空港をデザインしたイタリア生まれの建築家、Renzo Piano(レンゾ・ピアノ)氏が手がけたもの。細かなディテールや線とボリュームのプロポーションが素晴らしい。












写真を撮っていると、ジャズの生演奏が始まった。大勢の人が、ワインやビールを飲みながら芝生の上に転がり、気持ちの良い金曜日の夕暮れを過ごしている。様々な人種の人達が緑の絨毯の上で音楽とアルコールに酔いしれているいるこういう風景は、アメリカらしくてとても好きだ。


街灯を沢山並べたインスタレーション。街灯だけで小さな街が形成されているみたいだ。


余計な物を視界に入れたくない時は、上を見上げるのが一番良い。




時間は午後7時過ぎ。3時間はあっという間に過ぎていた。
金曜日は皆3,4時から帰宅し出すので、少しは渋滞もましになった頃だろうと思い車へと歩き出した。



大きな石のインスタレーション。この下を通る時、恐怖心が生まれるかと思ったが、あまりにも石が大き過ぎて逆に非現実的に感じられ特に怖くはなかった。これが半分の大きさだったら、逆に怖かったと思う。


コンクリートの質感が心地よい。



砂とスティールとコンクリート。







帰り道、目の前から大きな月が昇ってきた。大きな月を写真で大きく表現するのはいつも難しい。





最後に、ジャズを聴きながらも考えていたのだが、このズボンの穴は、いつ出来たのだろうか?




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