2016年8月25日木曜日

COMME PARIS - オジサンの恋

COMME PARIS のお話、第3話。業者の工事も着々と進んでいるので、お話はこれで最後。
来週中盤からは日本へ行き、店作りに参加して、本当にこれまでの話が似合う様なお菓子屋さんを作る予定です。



第3話:オジサンの恋


成人してから35年。髪の毛も少し薄くなった。こんな私でも、まだ女性を好きになる事はある。あの人と一緒に食事へ行ったり、映画を見たり、または一緒に朝食を明るい食卓で食べたり、などと言う事が出来たとしたら、それは、私の全ての運を使い果たした時であろう。

1LDKのマンションで、長い間愛用し過ぎて、あちこちから糸が飛び出てしまっている肌色のソファーに深く座り、どのチャンネルでも同じ事をやっている夜のニュースを見ながら、ビールでふくれた腹の肉を指先でつまんでみる。勉強や研究は昔から好きで、真面目に仕事もして来たので給料だって悪くはない。きっと良い方であろう。一人だから貯金もそこそこある。ただし、見た目はあまりに平凡だ。背も低いし、決してお洒落でもないから女性にはもてない。そう言う事は、冗談半分のつもりでからかう周囲の人間が嫌でも教えてくれるので自覚している。大学の研究室を出て白衣を脱げば、ただの普通の小太りなオヤジに過ぎない。女性とお付き合いをした事はある。25年も前の事だが。レンズという事で言えば、人間の目の水晶体より、電子顕微鏡のレンズと見つめ合っている時間の方が遥かに長い。

私は、フランスの画家の名前が付けられた、昔ながらの喫茶室へよく行く。欧米から来たであろうコーヒー屋等は、若い人向けだ。その喫茶室で、笑顔できびきびと働くあの人は、40代前半だろうか。私の中では、女優の石田ゆり子に似ている。素朴な美しさがあり、口元に柔らかい笑みを常に浮かべ、ショートカットでも決してきついイメージを与えず、女性らしい優しい雰囲気を醸し出している。

「あ、いらっしゃいませ。今日も暑いですね。いつものにされますか?」

学会や会議が無い限り、火曜日と木曜日の昼休みにはほぼ毎週通っているので顔は覚えてもらえている様だが、私の名前は、知らないだろう。私の名前など、知らないだろう。私の名前など、知っても仕方がないだろう。私は彼女にとって、ただの頻繁に来る客の一人に過ぎない。

彼女の情報は、店内で小耳に挟んだ会話から少しは得ている。以前は人材派遣会社の総務部にいた事、週一回趣味で料理教室に通っているにもかかわらず先週ラザニアを焦がした事、5年ほど前に離婚して今は独身という事、そして、今日から丁度一週間後の来週の木曜日が誕生日だという事。

オーダーのやり取り以外、殆ど会話をした事もない人だが、勇気を出してお話するきっかけを作りたい。そこで思いついたのが、誕生日プレゼントだ。しかし、何が良いだろうか。物をあげれば後に残るので、残ら無い物の方が迷惑にならないという気遣いぐらいは、私でも心得ている。

花か?
だとすると、ただでさえ目立つ花束を花屋で買い、町を歩き、喫茶室へ持って行かなければならない。阿部寛なら似合うかも知れないが、その様な行動で私に許されるのは、白い菊の花ぐらいだろう。しかも、ただの客のこの私が、いきなり花束を差し出すなど気味が悪く思われるに違いない。

食べ物か?
だとすると、お菓子だ。青山や表参道などという場所にあるお菓子屋さんは、私などには敷居が高い。そう言えば、家の近所に新しく出来たお菓子屋がある。あそこにしよう。

夕方遅く、せせらぎ公園の緑の中を歩いていると、時々涼しい風が木の葉を揺らす。公園を抜けてから暫く真っ直ぐ歩くと、例のお菓子屋さんが現れた。あまり気にしていなかったのできちんと見た事はなかったが、どうやら、少しなめていた様だ。思ったより洒落た感じではないか。お店のロゴなのだろうか、店の前に吊られた看板に、紋章らしき物がついている。




大きなガラス窓の向こうに白い螺旋階段と、その奥にエプロンを付けた女性店員が一人見える。少し入りづらいが、意を決して道を渡り、木のドアを開けた。2個の水晶体が私を発見する。

「いらっしゃいませ。」

無言で陳列された馴染みのない茶色いお菓子達を見つめる。どれが喜ばれるのか、私にはさっぱり分からない。ただただじっと眺めながら立ち尽くしていると、先程の店員が声を掛けて来た。

「お土産ですか?」

「え?! ええ、まぁ。」

「悩まれてます?」

「ええ、あまり自分ではこういうお菓子は食べないもので。あ、失礼。」

「いえいえ、私も最初からご自分用のお菓子ではないだろうな、と勝手に思っていました。失礼しました。」

何か、肩の力がスッと抜けて、少し気が楽になった。

「実は、知り合いの女性が誕生日なので、そのー、簡単なプレゼントになる物を、と思いまして。あっ、でも、全然そういう間柄ではないんです。勿論、私なんかが、その・・・」

きっと年甲斐にもなくあたふたとし、赤面していたに違いない。恥ずかしい。

「おいくつですか?」

やはり、この年で恋愛などおかしいのだろう。洒落たお菓子屋さんも、私の様なオジサンには似合わないのか・・・。

「すいません。先月55歳になりました。ご覧の通り、腹も出て。」

「いえ、そのお相手の女性の方のご年齢です。」

まさか!こんなベタな古典漫才の様な展開が現実に起こり得るとは!気を取り直してもう一度。

「すいません。えー、多分40代前半かと。」

「なるほど。では、まずはこちらのカヌレが12個入った小箱にしましょう。それから、このブルーベリータルトを一つ。」

不思議に思い、尋ねてみた。

「・・・彼女の年齢と、何か関係があるのでしょうか?」

するとその店員は、右手の人差し指を自分のあごにあて、上目遣いでこう言った

「酸いも甘いも経験して来た40代。ブルーベリーのほのかな酸味が効いたタルトと、甘さに深みのあるカヌレを食べて、いつまでも、その味を忘れずに若い気持ちでいられます様に、という思いを込めて。なんてね。」

「はー。大丈夫ですかね、それ ・・・?」

すると、彼女は半分笑いながら少し大き目の声で言った。

「当店はお菓子屋さんです。魔法使いの館ではないので、大丈夫かどうかは分かりません!後は、あなた次第です!」

確かに、恋愛成就を確約してくれる魔法は使えないだろうが、なぜかとても無責任な感じを受けるのは気のせいだろうか? ただ、この笑っている店員を見ていたら何だか愉快になって来て、つい一緒に笑いだしてしまった。

「分かりました。では、是非その二つを下さい。」

小さな紙袋を店員から受け取り、その店のドアを開け外に出た時には、さっきよりも車のヘッドライトが目立つ様になっていた。


次の週の金曜日、仕事帰りにまたそのお菓子屋さんを目指した。店の前まで来ると、丁度客が帰るところだった。閉まりかけた扉の隙間から、この前の女性の店員が一人でお菓子を並べているのが見える。

「いらっしゃいませー。」

「こんにちは。」

軽く会釈をしてみた。一瞬目が合ったが、何も言って来ない。そうか、それはそうだな。大勢来る客の一人で、一度しか来た事のない、これと言って特徴もなく平凡な私の事を、覚えている訳が無い。何を期待したのやら。

「この12個入りのやつと、そのブルーベリーが乗ったのを一つ下さい。」

先週と全く同じ物を頼んだ。別に甘い物が食べたかった訳ではない。自分が好きな人に贈った物の味を知りたかった。正直に言うと、これを全部食べ終えたら、彼女の事を諦め、そして、素直に彼女の幸せを願える様になるのではないか、と思っていた。私には珍しく、科学では説明できない、理論的ではない想像だ。

お金を払い、外に出ようとして黒いドアノブに手をかけた時、後ろからあの店員の声がした。

「そのカヌレ、是非濃い目のお酒に少し浸して食べてみて下さい。ブランデーとか、コニャックとか。きっと、ちょっとほろ苦い、大切な思い出の味がすると思います。」

ブランデーにお菓子を浸す? その様な事をした事がない。一体どの様な味になってしまうのか想像も出来ない。物凄く不味くなってしまうのではないだろうか。振り返って聞いてみた。

「はー、大丈夫ですかね、それ・・・?」

彼女は、優しい笑顔で静かに答えた。

「当店はお菓子屋さんです。魔法使いの館ではないので、大丈夫です。いつまでも、その味を忘れずに若い気持ちでいられます様に。」



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